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マタギ

「自分と繋がる」に関する続き。

以前仲間が確かどこかの公民館かどこかで自主上映会をして、そこで「産土(うぶすな)」という映画を見たことがあります。
その土地に昔々から繋がる伝統を美しい映像で追うドキュメンタリー(と思う)。
映画中のひとつのエピソードで「マタギ」のおうちに生まれ
「マタギ」になるべくして育ち、
三代目マタギになったある男性のストーリーがありました。
確か3歳からマタギの修行をはじめて子供の頃から熊と共に生きてきたみたいなエピソード(めちゃくちゃ要約しています)。

細部は覚えていなくて申し訳ないのだけれど、見終わった後で痛烈に思ったことは、、
それは、「いいよな、マタギは!!」だった。

私はマタギになりたかった!
・・・・わけではもちろんなく、
マタギのおうちに生まれてしまったというその人生が
その瞬間猛烈に羨ましく思えてしまったのだ。。。。。。。

いや、もう、もちろん、実際にはその葛藤やご苦労があるのに
なにもわからないくせに、何を言うんだオマエは!
とお叱りを受けても仕方がない、、すみませんです。

でも率直にその時にはそう思ったのです。しかも猛烈に・・・


その時、とは、どういう時かというと
私は自分に何が向いているかわからなくて無性に迷っていて、
コーチという仕事で、控えめに言ってもとても順調に来ていたその時に、内心ではこれは本当に私なのか?とか、世の中に何か意味のあることをしているのか?と考えさせられるような出来事がこれでもかと続き、悶々と悩みはじめて止まらなくなってしまった、そんな時。

いろんなことを、その時々に「自分らしい!」と思って
手を付けかけては、あれ?全然楽しくないと気持ちと行動が萎えていくという連続。
浅い思考で付け焼き刃な判断をして空回り。
全然エネルギーが湧かない。
私は焦りまくっていた。

そういう時期。

なので、マタギいいな!!と思ってしまったのです。
別にマタギになりたいわけではもちろんなくて
(だいたいマタギは男性しかなれなかったはず)
なんだっていい。
私はこうなるべくして生まれました、というのがわかりたかった。


昔の人は、生まれながらにあなたはこう生きるしか道はありませんので、
みたいなものに反発したはずだ。
その頃と比較すれば、現代は職業を選べる自由があるはずなのに。
自由なのに不自由。

ちなみに、自由とは、どこへ行ってもいいとか、好きなことをしていいかという意味ではなくて
どう考えても何を思ってもどう感じても自由、という内側の意味だと思っている。

迷っている自分はダメという不自由さが自分の中でうごめいていて
全然自由じゃなかった。
それに「好きなことを仕事にしよう!」とか「ワクワクすればうまくいく!」みたいなスローガン(?)が世の中で大きくなって来て、
好きなことを仕事になんかできねーよと、もやもやする私はさらに追いつめられた。

 

 

仮に好きじゃないかもしれない仕事をしていたって「これでいいのだ」って
自分で決められていたらそれでいい。
今はそういう時期だよねって思うのもあり。
それもその人の自由。
でも私はそうは思えなかった。
なんか違うという違和感を持ったまま
いつも外側の何かを探していた。
はい、あなたマタギね、って言われたら
もうそれ以上もやもやすることはないから、そういうのいい!と思ったのだ。
(重ねていうけれど、マタギという職業を軽く捉えているわけでは断じてありません。)

で、万が一、そうであったならば、
マタギという仕事をどのように捉えるかは私の自由だ。
少なくとも外側で、この仕事わたしに向いてる?世の中の役に立ってる?とか悩まずには済む(ような気がする)。
葛藤はもちろんあるだろうが、
それが「転職どうしよう」みたいなもやもやではなく、
自分と深く向き合う必要があるということに
いち早く気づけたんじゃなかろうか。

そんな意味で「生まれながらにして決められている」というフレーズは
その頃の私にとって嫉妬の対象だったのだ(自分で決められないだけだよ)。

枠があるから超えてやろうというアイディアが生まれ
縛りがあるから広がってやろうというエネルギーが湧く。
何をしてもいい、何をしなくてもいいは
本当に不自由で私はこの頃いつももやもやしていた。
生まれに強いアイデンティティがある人が本当に羨ましかった。
誰かに決めて欲しかった。


いわゆるアイデンティティモラトリアム。
ないものねだり。
まさかこんな中年になって襲われることになろうとは
当たり前だけれど予想だにしてなかった。
でも、周りを見ていても意外とこんな人、多い。
40代どころか50代でも60代でも抱えている人は多い。

 

せめて20代の頃に来ていたらもう少し対応が変わっただろうに
とか、そんな思考さえも、いつも外側にばかり注意が向いていた。
探求の対象は外側でなくて内側でしょという当たり前のことが
頭ではわかっていても実際には出来なくて、ずーっと外ばかりを探していた。

そんなこんなを経て何年もかかってそのもやもやはいちおう晴らした(また別のもやもやも生まれたけれど)。

それはやっぱり
外側に何かを探しにいくのをやめて
「自分と深く繋がる」ということが実感できてからだ。

まだまだもやもやするだろうし、
まだわかってなかった自分!と思うこともたくさん現れるだろうけど
外側に探しにいかないことがわかったので
もうその心の安定感は格段に違うのだ。


 

自由で安心して幸せでいるのは、自分の内側の「状態」のことであって
外側にある条件や環境のことではない。
そんなこと、昔っからたくさんの偉い人が言っていることなのに、
頑固な私がわかるために、随分長く時間がかかったのだ。

 

つづく(たぶん)

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